経緯と現状報告

2022年12月9日に歯科医から処方された抗生剤を飲んで以来、腹全体の調子が悪くなった気がしたのがそもそもの発端。

調子が悪いからビオフェルミンODしたりして余計ガスが溜まり不快感が増していった。

12月16日、友人のライブが中止になったのでなんとはなしに近所の病院に行った。問診や触診でも異常はなく、気になるならCT撮るかどうか聞かれてついでに撮ることにした。

画像が上がってくると医師の顔色が変わり、翌朝胃カメラ飲むことになった。腹水で張ってることがわかったのだ。

芝居の予定があったので渋っていたが医師の迫力に負けて全てキャンセルし絶食からの初胃カメラ。なにも見つからない。センマイが食べたくなる映像である。その場で週明け火曜日の大腸カメラ予約が決まり帰宅。

月曜日勤務中の昼食抜きから夜絶食、20日は朝から2㍑もの下剤を飲み沐浴してから病院に向かう。己の肛門を初めて目視しながら未知なる小宇宙へと旅に出た。少しずつ遡っていくなかなにも異常は見当たらない。体位を仰向けに変えた辺りで医師の手が止まる。モニタに少しかわった盛り上がりがみられる。そこで数枚の写真を撮りさらなる深淵へと……。盲腸手前までたどりつき折り返す。先程留まった辺りで細胞を採取し慎重に確認しながら戻っていく。ホルモン食べたいとかいえない雰囲気の中カメラを排出した。その日の診察では結腸がんの疑いが強いとの所見を下された。次回は次週、採取した細胞と腹水の検査結果、造影剤越しのCT確認を27日にするとのこと。

年の瀬27日、仕事を15時に終われるように都合つけてもらい昼絶食でCTを撮る。それまでの内科医から外科医に代わり診断を下された。結腸線がんからの腹膜播種、余命6ヶ月。

そこまで衝撃ではなかったのが自分でも驚きだ。初診の時、全ての病状に関しての告知を了解しておいてよかったと思った。

そっから年越しはずっとゴロゴロしてた。遠くの友人たちから沢山応援が届き電話もいっぱいかかってきている。ありがとう。

年明け3日、あまりに腹水が不快なので病院に問い合わせると主治医が宿直でいるのでいつでもきていいとのこと。訪ねるとさまざまな疑問に答えもらえ安心することができたので、また、ゴロゴロする。さすがに年明け4日以降の出勤は無理な感じがしたので休むことにした。1月10日より抗がん治療を始める。点滴の間にちょくちょく主治医が現れて様子を見てくれた。いい先生だ。直後の副作用は興味深いものだ。冷感が痛感になる。少し冷えた水を触ると痛い。湿って冷えた洗濯物が凶器にかわるのだ。これにて担当家事の大半から離脱することになってしまった。トイレで手を洗うのも苦痛なのだが、そもそもそんな習慣、慣習あるのか?

13日、セカンドオピニオンを聞きにいく。腹膜切除手術の可能性を探るのが主目的だったのだが、播種が小腸周辺に多数あるのではないかとの画像所見で不可の蓋然性が高そうだ。

あけて14日腹水の不快さが限界近くなる。夜眠れないのだ。鍼灸師の友人からお灸をしてもらっても間に合わない、少ない腹腔内を胃と小腸と大腸と膀胱と肺が奪い合って夜通しおしくらまんじゅうしてるんですもの。土曜日で診察のない日だったが腹水を抜いてもらう。なぜか主治医が現れ処置をしてくれる。局所麻酔をして針を刺すと噴水みたいにでてきたので笑いそうになったが腹に針刺さったまま笑うのは無理。そのまま3.2㍑腹水を抜く。看護師がテープ固定を申し立てるも先生はそのまま手で持って20分くらい世間話をする。休みなのにきてたらしい。腹水が抜けるにしたがって指先がポカポカ暖かくなってくる。全身の血管を圧迫してたのだろう。ものすごく楽しくなってきた。年末からの絶望感の八割はたぶんこの圧迫にあったのだろう。普通に散歩にいけるし、夜眠れる。食欲ももどるし、いっぱい笑える。涙を流すことはあるけどそこまで絶望を感じない。友人たちとどれだけ話してても疲れない。

腹水抜いてから今日で1週間。今のところ少しずつ増えてるような増えてないような。緑茶をがぶ飲みしてトイレに通ってる。体重は115㌔あったのが100㌔になった。15年ぶりかな。

仕事はとりあえず3月末まで休みをとった。毎日ハンモックで毛布にくるまってぽちぽちネットをしたり、アマプラみたり、マンガ読んだりしてる。

多くのなかまたちに応援してもらって私はとても幸せに生きてると思う。本当にありがとう。

 

 

姉と話してて某巨大掲示板ネトウヨとたたかってるなら文章書けっていわれて書き始めた。うんこみたいなプラットフォームしかない中で比較的マシ?なここで思いつくままに思い出話なんかをあげていこうと思う。

竹田直樹